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総泉病院の取り組み

チーム医療の実践

病院で働くさまざまな職種のスタッフ。それぞれの専門性を活かす、チーム医療を実践しています。
定期的に開催されるカンファレンスのほか、職種を超えた相談・意見交換を行なっています。

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医療安全への取り組み

医療事故を防止し、安全かつ適切な医療体制を確立するため、委員会を中心に活動しています。



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地域医療への貢献

地域の病院・医療機関と連携し、安心してご入院・ご退院いただけるよう努めています。
また、周辺住民のみなさまに広く信頼いただける医療を目指しています。



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地域との交流・研修活動

ウェルエイジングセンターを中心に、地域活動への参加やセミナーの開催をしています。
また、医療・介護関係者からのご相談・ご見学も受け付けています。



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さまざまな委員会活動

平成22年4月現在、総泉病院には20の委員会があります。

  • 医師を中心に、患者さんの症例の検討する「入退院患者症例検討会」
  • 院内サービスの検討・改善を行なう「サービス向上委員会」
  • 患者さん、ご家族への接遇の向上を目指した「接遇委員会」
  • 病棟におけるリハビリテーションと看護の連携をはかるための「リハ看護委員会」
  • 終末期医療について検討する「ターミナルケア検討委員会」など
  積極的に活動しています。


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勉強会・研修会活動

知識を深めること、共有することを目的として、院内ではさまざまな勉強会・研修会が行なわれています。
また、外部の研修会や学術発表会にも積極的に参加しています。



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豊かな療養環境の活用

「清馨園」をはじめとする自然豊かな環境、昭和レトロな空間「思い出ミュージアム」。
これらを利用した活性プログラムを積極的に行なっています。



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豊富なイベント

毎月病棟で行われるイベントに季節に合わせたイベント。
入院生活がより豊かなものであるように、取り組んでいます。



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エコキャップの回収

エコキャップの回収

ペットボトルのキャップを集めて再資源化することでCO2を削減し、
キャップの再資源化で得た売却益をもって発展途上国の子どもたちにワクチンを贈る「エコキャップ推進委員会」。
総泉病院は協力会員として、キャップの回収に参加しています。

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地球環境保護への取り組み

地球環境保護への取り組み

院内の照明に省エネ型の電球を採用し消費電力を削減しています。
病室の窓に特殊なフィルムを貼り冷暖房効果を高めています。
また、病院から出る「ゴミ」の行方にも注目し、廃棄物は電力に変わる「燃料」に、
古紙やダンボールは再生紙へそれぞれ生まれ変わります。
ほかにも、事務部職員のクールビズ(夏季の軽装)の実施、職員食堂の割り箸の廃止など、
地球環境保護に積極的に取り組んでいます。

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赤ひげ先生奮闘記

赤ひげ先生奮闘記

その1 気仙沼へ! ~軽トラが対策本部~
総泉病院に勤務しています、医師の五十嵐です。
僕の趣味はバイクに旅行。これまでに世界23か国を旅しました。
僕が旅をした国には、医療が行き届いていない国もあります。僕はこれまで、そういう国の人たちを見ても、 その国の人達はその国のシステムで動いているので 積極的に支援をしようとは思いませんでした。

今回僕が行ったのは、宮城県の気仙沼市と石巻市。
実は、僕にとって大切な町なんです。 僕が医師になりたての頃、気仙沼市の病院で4年間研修をしました。 一緒に頑張った仲間、お世話になった先輩、 自分を一人前の医者にしてくれた患者さん…。 たくさんの思い出が蘇ってきました。
僕はまず、お世話になった病院の院長に電話をしました。
「そちらの状況はどうですか?」と聞くと
「医者は足りているよ、病院の中は」という返事。
病院の中は…? ということは病院の外は足りていない? 気仙沼に何が起きているか、自分の目で見てみよう!そう思いました。

「気仙沼に行きたい」と思った僕に 院長や看護部長、事務長をはじめとする総泉病院のスタッフは 全面的に協力してくれました。
血圧計や薬、流動食、オムツなど、たくさんの物資を軽トラに積みこみました。 病院のアクティビティルームに貼ってあった「甦れ 東北」の習字。 (実はこれ、92歳の入院患者さんが書いたものなんですが) この習字を軽トラのドアに貼りました。 軽トラ前面には「医師応援車輌」の張り紙。 これは、事務長が自ら作ってくれました。
あとは医師免許証。 「本当に医者か?」と疑われては元も子もないので(笑) 拡大コピーして軽トラの中に貼りました。

被災地には、日本赤十字社や医師会など さまざまな団体によるチームが構成されて支援にあたっていました。 今回僕は、そうした組織の中で活動するのではなく 組織が行なっていないことをやろう、そう思っていました。
僕の医療チームは「PMAT(ピーマット)」 Passion Medical Assistant Teamの略です。
Passion(パッション)とは情熱の意。 思い出の多い被災地への僕の思い。 僕を応援してくれた総泉病院スタッフの思い。 みんな軽トラに乗せて、出発しました。 ちなみに、「PMAT」の対策本部はこの軽トラです。
つづく・・・

赤ひげ先生奮闘記

その2 行き届いているところ、いないところ
気仙沼に出発したこの日は、それまで通行できなかった東北自動車道が 再び通れるようになった日でした。
その偶然に驚きつつも、被災地へ入っていきました。 まだ、各地でガソリン不足が続き スタンド前で長蛇の車ができていましたが、 事務長が作ってくれた「医師応援車輌」の張り紙のおかげで 僕はスムーズに給油できました。 ありがとう、事務長さん。

気仙沼は、自衛隊の活動により道路は通行できるようになっていましたが、 道路の両側にはがれきの山。 トラック2台分くらいの高さがありました。 僕はまず、避難所になっていた体育館に行きました。
避難されていた方にお話を聞くと
「ここにはお医者さんが来てくれている」
「今日も診察を受けました」「大丈夫です」
…ここには、僕は必要ない。 そう思って、数名の診察をして体育館をあとにしました。

赤ひげ先生奮闘記

町を歩いていると、民生委員の方に出会いました。 その方がおっしゃるのには
「支援は、見つけられている場所には足りている
 だけど、見つけられていない場所には足りていない」
大きな体育館のような避難所には、支援の手が次々に差し伸べられていく。 でも、ほかの場所には支援の手が回ってこない。 支援が必要であるという情報も把握されていない。
だから、私たちは1件1件、訪問しているんです。 そう話されていました。 学校や体育館のような避難所の光景は テレビでもたびたび報道されましたよね。 あれが全てではないんです。 避難所には目が向けられ、物資が届いていく。

赤ひげ先生奮闘記

でも、避難所に行かない人、行けない人もいるんです。
寝たきりのお年寄りがどうやって避難所に行くのでしょうか。 お年寄りが、避難所の体育館の床で眠れるでしょうか。 たくさんの人が体を寄せあって過ごす避難所で お年寄りのオムツ交換ができるでしょうか。
さまざまな理由から、自宅での生活を続けている人がいる。
自宅…と言っても、1階は津波の被害でぐちゃぐちゃ 電気も水道もガスもない、そんな自宅です。
こういった、自宅で暮らす人たちには 困っていることがあるのではないだろうか、 必要な医療を受けられていないのではないか、
僕はそう思って、 気仙沼市内の住宅を訪ねて歩くことにしました。
つづく…

赤ひげ先生奮闘記

その3 僕にできること…
気仙沼市内の、あるお宅を訪問しました。
1階部分が全滅のお宅の2階には ベッドの上に寝たきりのおばあちゃん。 在宅で生活しているお年寄りは、
褥瘡(床ずれ)ができないように、 「エアマット」という空気の入ったマットを使用していることが多いのですが、 停電になってしまっては、エアマットの空気も抜けてしまいます。
このおばあちゃんも、褥瘡ができて不安そうにしていました。 診察をすると、そんなにひどい状態ではない様子。 「もう大丈夫ですよ」と声をかけると、おばあちゃんも安心した様子。

…と、もう1人安心した様子の人が。
このおばあちゃんの娘さんでした。 とっても嬉しそうに笑いながら泣きだしてしまいました。
おばあちゃんに褥瘡ができてしまったし、 家の中はぐちゃぐちゃになってしまったし 電気もガスも水道も使えない。 いつまでこの状態が続くのかもわからない。 そんな不安を抱えていた娘さん。 「おばあちゃんの褥瘡は、もう大丈夫ですよ」と 僕が言ったことで、ほっとしたのでしょう。
在宅で生活している介護が必要な人を支えるには その人だけじゃなくて、その人を支える家族の人の支援も必要なんだ。 僕はこのとき、思いました。

赤ひげ先生奮闘記

気仙沼では、たくさんの人に会って、お話を聞きました。
「津波で流された」 「水がここまでせまってきた」 「屋根の上に上って助かった」 そんな、非日常的な話をあちこちで聞きました。 みんな、怖かったんだ。 みんな、不安だったんだ。 僕には何ができるだろう?
震災以降、「何かしたい」とか 「自分には何ができるんだろう」とか 考えた方はたくさんいると思います。
僕は気仙沼で考えました。 自分には何ができるだろう?

1人の医者に、できることは限られる。 僕が必死に気仙沼のお宅を回ったって 回れる数は限られる。
だったら…回ったお宅の人と、話をしてみよう。 いっぱい回ることも大切だけど、つきあってみることも大切。 僕はそう決めました。

お宅を訪問すると、最初はみなさん不安そうなんです。
それが、少しずつ、少しずつ、話をしだして 愚痴だったり、不安な気持ちだったり、家族の話だったり とりとめもなく話される。 やがて、話したことで気持ちが軽くなったのか 少しずつ、少しずつ表情が柔らかくなって 笑顔を見せてくれる。
僕のような被災地の外の人間が、話を聞くことの大切さを 改めて感じました。 つづく…

赤ひげ先生奮闘記

その4 カップラーメンはやめて!
あるお宅でであった女性は
「不安で血圧が上がってしまった」と話されていました。
聞けば、救援物資で届いたカップラーメンを 毎食食べていたとのこと。
確かに、カップラーメンはすぐに食べられて便利だけど 食べ続けるものではないんです。
ちょうど、テレビ朝日のスタッフの方とお会いしたので 僕は言いました。
「救援物資にカップラーメンはなしでお願いします!」

赤ひげ先生奮闘記

僕が気仙沼市のお宅を訪問した様子は
テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」で放送されました。
見てくれた方、いますか?
気仙沼市では、
そんなふうに、避難所を尋ねたり、
お宅を訪問したり、
医師会や介護スタッフの会議に出席したりしました。

赤ひげ先生奮闘記

僕の友人に、石井 正(いしい ただし)という
石巻日赤病院のジェネラルマネージャーがいます。
電話をかけてみました。
「僕は気仙沼市のお宅を訪問して、褥瘡の治療をしました。
 そちらはどうですか?」
「先生、褥瘡の治療なんて、高度な医療やってぜいたくですねぇ
(皮肉っぽく)。
 こっちは下水も使えず、みんなそこらじゅうでトイレしますよ。
ひどいものです。とにかく来て、見てください!」
こうして僕は、石巻市に向かいました。
つづく…

赤ひげ先生奮闘記

その5 石巻へ ~14時46分で止まった時計~
そうして、石巻市に向かったのですが、
石巻市は様子が違っていました。
気仙沼市と石巻市では地形が違うからなのか
気仙沼市には津波は来たものの、泥が流れてくることはなかったんです。
ところが、石巻市は家も道路も泥まみれ。
下水も使えない状態ですし、倒壊した家屋もたくさん。 満潮の時刻になると、海から泥が流れてきて 潮が引いて、やっと乾いたかと思ったら また満潮になって泥が流れてきて、の繰り返し。 この地域は肺炎がなかなか治りません。 津波やヘドロの影響を感じました。

赤ひげ先生奮闘記

津波の被害にあった中学校に行きました。
改めて、被害の大きさを感じます。
校舎の時計は14時46分で止まったまま。
地震が起きた、あの時刻です。
つづく…

赤ひげ先生奮闘記

その6 乗り越えるために ~笑いが生まれるしくみ~
石巻市での僕の相棒は、薬剤士の友人ブッチーです。
彼と一緒に、避難所として利用されているお寺に行きました。
こちらが素晴らしいなと思ったのは 毎朝布団を上げて、皆で体操をするんだとか。 避難所は布団が敷きっぱなしのところばかりなのに。

このお寺で、僕は1人の女性からお話を聞きました。
「…あの日、地震のあと、大きな津波がやってきて 息子と一緒に、必死になって逃げた。
必死に逃げたけど、黒い波がものすごい勢いでせまってきて ついに波にのまれてしまった。 どっちが上で、どっちが下かもわからない波の中で 必死にもがいて、手をバタバタさせていたら 息子の手にぶつかって、息子としっかり手を握った。 息子に引っ張ってもらって、やっと水から顔を出して やっと、やっと息ができた。
するとまた波がやってきて、苦しくなって また水から顔を出して息をして、の繰り返し。 流されて、流されて、息子はどこかのフェンスにしがみつくことができた。 片方の手でフェンスをつかみ、もう片方の手で私の手を握る息子。 どれくらい時間がたったのかはわからないけれど 息子も私も疲れてきた。 息子の手の力が弱くなったのを感じた。
ものすごい恐怖と不安の中で、急に頭が冷静になって、息子に言った。
『私はもういい。孫が2人もいる歳まで生きた。
 もういいから。お前、この手を離せ』
息子は言った『それはできない』
それからしばらく時間がたって、 波が引いて、私たちは助けられた…。」

赤ひげ先生奮闘記

女性がこの話をすると、僕をはじめ、聞いていた人は皆しーんとなって 涙ぐむ人も多かった。まるでお通夜みたいに。

と、話を聞いていたある男性が
「おばちゃん、昨日息子さんと話したけど 『手を離しても良かったかな』って言ってたよ」と言い出し、 それを聞いた皆は大爆笑。
はじめて聞くと、なんてひどいことをって思うけど 実はこれ、この避難所の「笑いが生まれるしくみ」なんです。

このおばちゃんが、この話をするのは実は初めてじゃない。
おばちゃんの話を聞くと、皆がしーんとなってしまうから 誰かがすかさず「昨日息子さんは…」と突っ込みを入れて笑いをとる。 突っ込みをいれる人は、毎回変わっているみたいだ。
つらい思い出を乗り越えるための見事な「笑いシステム」 元気な避難所ならではのセルフケアだったんです。
つづく…

赤ひげ先生奮闘記

その7 立場や資格は関係ない!
それから数日後、僕たち「PMAT」は
ふたたび被災地に向かいました。

今回は、
総泉病院のスタッフ手作りの「口腔ケアのパーツ」や
スタッフが持ち寄ってくれたおもちゃやぬいぐるみ、
レクリエーションで使っていたアフロヘアーのカツラも持参しました。

赤ひげ先生奮闘記

避難所になっていたある小学校の教室には
お年寄りが床で寝ていました。
体が不自由で、立ち上がることができません。
同じ避難所で暮らす男性は、それを見て
「このおじいちゃんには介護用ベッドが必要だ」と思ったそうです。
彼は、毎日のように市役所にかけあって
おじいちゃんのために介護用ベッドを準備してほしいと訴えたそうです。
そうして、ついにこの日、
おじいちゃんのもとへ介護用ベッドが届きました。 彼の必死の訴えがなければ、ベッドが届くのはもっと後だったかもしれません。

赤ひげ先生奮闘記

僕は思いました。
その人を思う気持ちがあれば、立場や資格は関係ないんだと。

このときも、僕の相棒は薬剤師の友人ブッチーでした。 彼は市内を走りまわり、ひとりひとりに聞くんです。
「何が必要ですか?」と。
「必要な薬はありますか?」じゃないんです。 薬剤師だからって、薬のことだけじゃないんです。 食べ物でも、洋服でも、オムツでも、 必要としている人に必要なものが届くように。 そういう「御用聞き」みたいな人間が、 実際は大切なのかもしれません。

これがPMATのポリシー 東北の人は我慢強いです。 だからでしょう、自分から「ツライ」と言わないんです。 こちらが聞いても、最初は「大丈夫」と言う。
それでもしばらく話を聞いていると 「そういえば、もう5日も薬を飲んでいない」とか言うんです。
つづく…

赤ひげ先生奮闘記

その8 「義務」ではなく「できること」を
僕は被災地に行ってみて思いました。
実際に起きていることは、テレビや新聞で報道されることの 100倍はひどいことで、 これはやっぱり、その場所に行って、自分の目で見なければわからない。

だからと言って、皆「行かなくちゃ」って思う必要はない。
震災があってから、この国には「何かしなきゃ」っていう人や 「自分にはたいしたことはできない」って思う人がたくさんいたけれど そんなふうに「義務」だと思う必要はない。
「義務」で動いている人間は、相手が見えない。
「こうしなきゃ」って気持ちで動くから 相手が何を必要としているかが見えなくて たいしたことはできないんだ。

僕はいろんな人と話してみて感じたんだけど 被災地に行く前の人はものすごく悩んでる。 被災地に行ってきた人は、気持ちが楽になっている。

今すぐじゃなくてもいい、 「行かなきゃ」って思う必要もない。 被災地が完全に復興するまで、10年はかかると僕は思う。 長い、長い時間が必要だと思う。
だから、誰も行かない時期が来ないように
10年の間で、皆が1回くらいは 「できること」をしに行けばいいんじゃないかって、思う。

僕はまた、行こうと思う。
震災はいつ起こるかわからない。
僕だって、いつまで生きられるかわからないから
だから、また行ってこようと思う。
つづく…

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